大分県の別府市の在住の私ですが、最近は温泉巡りと同時に湧水巡りをすることも多いです。
車で1時間以上かかりますが、竹田市にある湧水は、【竹田湧水群】と呼ばれるほど豊富です。
お気に入りの湧水を求めて、ほぼ毎週汲みに行っています。
そんな【竹田湧水群】へ向かう途中、ちょうど竹田市の中心部あたりを過ぎた頃です。
突然、勢いのある滝が現れます。
道の途中ということもあり、なかなか寄ることはありませんでした。
しかし、どうしても気になり、同行していただいた滝マイスターさんとともに訪問させていただきました。
その滝は【魚住の滝】という名前でした。
本記事では、【魚住の滝】の訪問レポートを紹介させていただきます。
知らなければついつい素通りしてしまう【魚住の滝】です。
本記事を読んで、【魚住の滝】を知っていただくと同時に、訪問するきっかけになれば嬉しいです。
【魚住の滝】基本情報
・住所:大分県竹田市大字竹田 ・お問い合わせ:竹田市商工観光課 (0974-63-4807) ・入場料:無料 ・営業時間:増水で危険なとき以外 |
【魚住の滝】(竹田ダム)Googleマップ
【魚住の滝】訪問体験レポート
道路の途中にあり、しかも工事中だったことも多いので、何度も見落とした【魚住の滝】です。
この日も通り過ぎてしまいましたが、Uターンできそうな場所がありましたので戻ってきました。
細い道を入ると、【魚住の滝】専用の駐車場もあり、立て看板で説明されていました。
少し上流にはダムがあり、そこから水が放流されていました。
【魚住の滝】は、見ているとその迫力に圧倒されます。
【原尻の滝】や【沈堕の滝】のように、どこどこのナイアガラというイメージがないわけではありません。
残念ながら、あまり近くまではいけませんでしたので、遠目から眺めるだけでした。
上流にある建造物は、【竹田ダム】の水門です。
少し登った先にはダム湖が広がります。
かつて日本百景の1つだったそうですが、このダムができたせいで景観が損なわれてしまったそうです。
さらに口コミなどを調べてみると、水が流れていない時もあるのだとか。
私が訪問した際は、だいたい流れていたと思います。
【竹田湧水群】を訪問し始めた頃に気づかなかったのは、流れていなかったからかもしれません。
まだ、ASUKAちゃんが運転練習してた頃だよね。
運転に一生懸命で気づかなかったのか、水がなかったのか謎だね。
いずれにせよ、結構頻繁に通る道なので、季節の変わり目などには特に気を付けてチェックしたいと思います。
【魚住の滝】にはどんな歴史がある?
【魚住の滝】を調べてみると、看板にも書かれていましたが広瀬中佐と関連があるとのことでした。
広瀬中佐って誰?
というのが、私の素直な感想です。
調べてみると、日露戦争時代の軍人です。
軍神とまで呼ばれた人なのだそうです。
軍歌的な歌詞にたびたび登場しているみたいですね。
個人的にですが、、昭和の初期に【魚住の滝】が日本百景だったという方が歴史的な重さを感じます。
軍神として有名な広瀬中佐かもしれませんが、それは戦争での話です。
平和な現在に、戦争の影を落とされてもと思います。
もちろん、私の父や母の時代は、戦後の大変な時期だったというのは聞いています。
私自身、おじいちゃんおばあちゃんから戦争の大変さも聞かされた世代です。
学校の先生も、元海軍や陸軍兵士がいらっしゃいました。
戦争は悲惨な歴史ですから、繰り返してはいけませんが、こういう滝で泳いだエピソードは、軍神じゃなくても良い気がするんですよね。
竹田の有名人は結構いますから、意外な誰かが泳いでいるかもしれません。
いや。
でも、あの流れを本当に泳げるの?
昔は【魚住の滝】は、もっと緩やかだったのかもしれないですね。
いろいろ調べていたら、昔の写真の動画がありました。
見た感じ緩やかそうでしたよ。
いろいろと【魚住の滝】の過去をほじくるより、あの勢いを見て、すごいなと思うだけで良いのかもしれませんね。
そういえば、周辺には地主さんの家の跡地みたいな遺跡があったりもしました。
周辺をじっくり散策すると、もっといろいろな歴史的なものもあるのかもしれないですね。
大分県の滝巡りはまだまだ続く!
いかがでしたか?
【竹田湧水群】へ行く途中の【魚住の滝】について書かせていただきました。
もちろん、別記事で【竹田湧水群】についても書かせていただきますので、いましばらくお待ちくださいね。
過去記事で大分県の滝と【竹田湧水群】について少し書いたものがありましたので、貼り付けておきます。
それでは、「大分県の滝スポットを紹介!素通りすることもある【魚住の滝】」の記事をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。